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ドキュメント アーカイブ

2004年08月20日

世界一面白いジョーク

次にあげるのは「世界一面白いジョーク」として Laugh Lab というサイトに紹介されたものである。

A couple of New Jersey hunters are out in the woods when one of them falls to the ground. He doesn't seem to be breathing, his eyes are rolled back in his head. The other guy whips out his cell phone and calls the emergency services. He gasps to the operator: "My friend is dead! What can I do?" The operator, in a calm soothing voice says: "Just take it easy. I can help. First, let's make sure he's dead." There is a silence, then a shot is heard. The guy's voice comes back on the line. He says: "OK, now what?"

これについて、「WIRED NEWS 『世界で最もおもしろいジョーク』のオンライン調査結果発表」という記事がある。
古い記事だが、前から気になっていたのであげてみる。

記事には、

さて、1位になった次のジョーク、ジョークを解さないという日本人たちに「世界一」と受け取れるだろうか。

とあるが、記事にあるように、

「米ニュージャージー州のハンター2人が狩りに出た。1人が木から落ちてしまった。仰天した連れのハンターが携帯電話で『息がない』と緊急通報した。救急隊のオペレーターが『落ち着いて。大丈夫。まず死んでるのか確かめなさい』と声をかける。一瞬の静寂後、オペレーターの耳に1発の銃声。続いて、『死んでる。これからどうしたらいいの?』というハンターの声が響いた」

のように日本語に訳してしまったのでは、ジョークとしての意味が判らないだろう。

# "make sure" は「確かめる」の方の意味で使われることが多いが、ハンターにとって "make sure one's death" は「(獲物に) トドメを刺す」の意味。
# "OK, now what?" を「死んでる。これからどうしたらいいの?」と訳しちゃうのもなんだか。先の "What can I do?" の質問で得られたオペレータの指示に一つ従った上で、"now what?" と次の指示を求めているのだから、「やりました。で、次は何をしたらいいでしょう?」くらいの意味だろう。

当人はあくまでも切迫した状況で真剣にオペレータの指示に一つ一つ従っているつもりであって、それと現実との落差がジョークとしての価値だろう。「これからどうしたらいいの?」では、ただ途方に暮れているみたいだ。

2004年09月30日

世界/日本で二番目のもの

【ドキュメント】世界/日本で二番目のもの

「世界一・日本一は有名だが、第二位は余り知られていないことが多いようである。すごい実力を持っているのに余り目立たない。ここでは、そんな二番目にスポットを当ててみたい。」

2004年10月06日

頭の悪そうな質問

【ドキュメント】頭の悪そうな質問

頭の悪そうな質問をしといて、それに思い切りツッコミをするテスト。

# もう最近こんなのばっかし。ちゃんとしたことが考えられません。

2004年10月14日

俺は小銭が嫌いだ

purse.gif

財布の中が小銭でじゃらじゃらいっているのが嫌だ。

お金が沢山ありすぎて財布がふくらんでいるのはいい。勿論歓迎すべきことだ。
でも小銭のせいでぱんぱんになっているのは嫌だ。

もっと言えば、財布の中のお金の枚数は、最少であって欲しい。
無駄に枚数が多いのは許せない。

coins.gif

例えば、財布の中に 1,444円 持っているとする。
この時の内訳は、千円札×1 + 百円玉×4 + 十円玉×4 + 一円玉×4。
是非こうあって欲しい。
いや、こうあるべきだ。

同じ 1,444円 でも、千円札×1 + 百円玉×3 + 五十円玉×1 + 十円玉×7 + 五円玉×2 + 一円玉×14、なんてのは駄目だ。駄目駄目だ。
有り得ないといってもいい。
十円玉が 5 枚以上有る、とか、五円玉が 2 枚以上有る、のようなのは潔しとしない。

人間、そんな羽目に陥いらないようにしたいものだ。
そんな状況になっているのは、過去の金銭の授受において、きっとなんらかのミスを犯しているのだ。

例えば、678円 の買い物をするとする。
財布には、1,444円。つまり、千円札×1 + 百円玉×4 + 十円玉×4 + 一円玉×4 が入っている。

678円 丁度で支払えれば一番良い。だが、この場合それは出来ない。
どうするか。

千円札を出してお釣りを 322円 貰うと、1 枚出して、お釣りを 7 枚 (百円玉×3 + 十円玉×2 + 一円玉×2) 貰うことになって、財布の中のお金の数は 6 枚増えてしまう。
この払い方は、安易だ。怠惰だ。
いやむしろ、ある種の敗北とさえ言える。

ここは、1,233円 (千円札×1 + 百円玉×2 + 十円玉×3 + 一円玉×3) 出すべきだ。
そしてお釣りを 555円 (五百円玉×1 + 五十円玉×1 + 五円玉×1) 貰うようにする。
9 枚出してお釣りは 3 枚貰うことになり、財布の中のお金の数は 6 枚減る。

これしかない。
差し引き 12 枚も違う。


ただ、たまに支払い時にこちらの意図が伝わらず、怪訝な顔をされることがある。
1,233円 の意図が分かってもらえないのだ。

レジの手が完全に止まってしまう人もいる。

そんなときはレジのお姉さんに向かって心の中でこう叫びたい。
いいから俺を信じろと。
意味が分からずとも、黙ってそのまま 1,233円 のお預かりと打てと。
そうすれば、いずれ分かる時が来るからと。


子供の頃。
電車に乗ろうと思った俺は、80円 の切符を買おうと 国鉄 (JR でなく国鉄だった) の窓口に向かった。
80円 丁度がなかったが、窓口の職員の手元に五十円玉が見えていたので、百円玉 1 枚と十円玉 3 枚の計 130円 を出した。
すると、職員が「80円 だよ」と乱暴に言った。この頃の国鉄の職員は本当に態度が悪かった。意味が分からず黙っていると、「80円だってば」と乱暴に 30円 を投げてよこして、それから切符と 20円 を差し出した。

何も言えず、それを受け取る俺。
つらかった。
大人は何も分かっちゃくれない。
もう何も信じるもんか。
社会に絶望する子供の頃の俺。


また、こんなこともある。

678円 の買い物に 1,233円 出したとする。
でも、レジを開けてみた結果、残念ながらレジには五十円玉が切れていたとする。
すると、お釣りには、十円玉が5枚混じってしまうことになる。自分が出した 3 枚の十円玉もその中に入る。

これは空しい。何という寂寥感。

でもこれは自分として「財布の中身を最小枚数にする」という目的にコミットしてベストを尽くした結果だ。
やるだけのことはやったんだ。結果が駄目でも受け入れよう。

ナイス ファイト、俺。
この経験をバネに明日からも頑張るぞ、俺。

そういう気分にならないか。

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2004年10月25日

人狼BBS

wolf.png

「人狼BBS」というものがあると聞いて、覗いてみた。

おすすめログ ― 名勝負 in YukiWiki というのを読んでみた。

読みながら思わず唸ってしまった。なかなかこれは興味深い。

  • 各人目的がはっきりしている
  • 各人に立場がある
  • 場のルールが明確である

という部分が強調された状況が作り出されていて、状況判断とコミュニケーションの、濃い訓練になっている。

「説得力を持つ」ということの具体例をみることが出来た。

2004年11月22日

遠山式超立体写真

遠山式超立体写真集 Touch it!」という本を購入した。

touchit.jpg


随分前のことだが、ランダムドット ステレオグラムというのが流行ったことがある。
ステレオグラムという絵を平行法や交差法などの裸眼立体視で見ると、立体的に見えるのだ。
これは結構気持ち良い感覚で、暫く立体視に凝ったことがある。


で、今回買ったのは、赤と青のセロハンの眼鏡を通して見ると飛び出して見える、というやつだ。
いわゆる赤青眼鏡方式のステレオグラム。昔の立体映画などでよく使われていたものだ。

但し今回のは、かのナムコが特許を取っている「遠山式」というもので、従来のやつと見え方が違う。

  • 従来の赤青眼鏡による立体視との比較
    • 実物大の絵を、実際の距離・角度と同じくらいの位置から見るので、遠近感がリアル。
    • 色も或る程度表現されている。
  • 裸眼立体視との比較
    • 平行法や交差法が出来ない人でも立体視が可能。
    • 立体的に見えてくるまで時間が掛からず、見た瞬間から立体的に見える。
    • やや色あせて見える。

写真の上に実物を置いて、立体視すると更にリアルに見える。
楽しい。

「遠山式」については、この辺に記事が有る。

今回買ったのは「Touch it!」という本で、お札やら食べ物やらの写真が飛び出して見えるのだが、他にも遠山式の写真集は出ている。

こちらの方が、もっと楽しそう。

2005年02月16日

コミュニティのマニフェスト

コミュニティ活動を色々やる中で思い付いたので、ちょっとメモ。

manifesto.gif
■ コミュニティのマニフェスト

「私たちは、

『明文化された厳密で詳細な決まりごと』より『柔軟な臨機応変』、
『全ての問題が解決するまで始めない』より『先ずはやってみて結果をフィードバック』、
『入念な準備』より『変化への対応』、
『トップダウンなコミュニティ』より『ボトムアップなコミュニティ』、
『縦社会のコミュニティ』より『横社会のコミュニティ』、
『報告』より『双方向のコミュニケーション』、
『責任者の追及』より『言い出しっぺの法則』、
『どうあるべきか』より『どうしたいか・どうなりたいか』、
『責任感』より『ボランティア精神』
『義務感』より『自由な参加』

をより尊重します。
(前者も尊重するが、後者をより尊重する)

これは、理想を言っているのではありません。極めて現実的な解です。
全てを前以て厳密に決め厳密なトップダウンで実行、という方がはるかに理想を追っていて非現実的です。コミュニティなのですから」

続きを読む "コミュニティのマニフェスト" »

2005年02月22日

ハントンライスとタンバルライス

hantonrice.jpg
私の大好物にハントンライスというのとタンバルライスというのがある。
子供の頃はよく食べた。
しかし、ここ二十年では一回しか食べていない。

洋食の一種で、強いて言えば、それぞれオムライスとドリアに似ている。
でも、強いて言わなければ、何にも似ていない。ハントンライスはハントンライスだし、タンバルライスはタンバルライスだ。
ハントンライスのハンはハンガリーのハン、トンはフランス語でマグロを意味するそうだが、そんなこともどうでも良い。

はっきり言ってうまい。
十年に一度くらい、猛烈に食べたくなる。
丁度今がその十年に一度の状態だ。

何処にでもある料理ではない。
東京にも無いだろう。

しかしすぐにでも食いたい。

これはもう自分で作るしかないか。

ハントンライスのレシピ: COOKPAD *ハントンライス*

2005年04月01日

Headlineって著作権的にOK?

からくり屋Blog ― Headlineって著作権的にOK?
について:

先ずは、それが著作物であるかどうかだと思います。
法律の文章など、公的に公開された文書は著作物には当たらないので、いくらでも使うことが出来ます。

※ 「タイトル」は、著作物ではないので無断で使用して構いません。


もし、著作物であっても、私的に利用することは問題ありません。個人や家庭内などの限られた範囲で使用する分にはコピーをとっても大丈夫です。

※ これが駄目だと、Web ブラウザで Web サイトを閲覧することも、メールを受信する行為も出来なくなります。ローカルなハードディスクに他人の著作物のコピーが作れない、ということですから。


また、「引用」は常に著作権者に承諾を得ることなく、自由に行うことができます (著作権法より)。

引用であれば、無断で行ってもなんら問題はありません。
引用が許されないと、批評などが適切に行えないことになり、困ったことになります。

※ よく、「無断引用お断り」などと書いてある Web サイトがありますが、これは無効です。「引用」は無断で行えるべきだし、引用されたくないのであれば、そもそも Web で公開すべきでない、と考えます。

その場合、

「公正な慣行に合致すること」
「他人の著作物を引用する必然性があること」
「自分の著作物と引用部分とが区別されていること」
「引用する著作物の方でなく自分の著作物の方が主体であること」
「出所の明示がなされていること」

が引用の条件になります。


これらを満たしていない場合、「転載」または「抜粋」ということになり、著作権者に無断で行うことは違法です。
また、引用であっても「引用にあたり、他人の著作物を変更すること」は違法です。


で結論ですが、RSS などを利用した Headline や Google などの検索サイトの場合は、私は、引用の条件を満たしていると思います。

公正な慣行に合致していると思いますし、引用する必然性があります。引用元も、URL などで明確にされています。

ただ、表示のされ方などは重要だと思います。引用部分が明確に区別されていて、主になっていないようにしないといけません。

<blockquote> タグを適切に使用することも大切かも知れませんね。

2005年04月08日

哀しみのソレアード

melody.gif
十年以上も探していた曲がある。

思い出の曲。
心が深い体験をしたときに流れていた曲で、聴くと今でもしんみりした気持ちになる。

静かでせつないインストゥルメンタルの曲だ。
一年に一度くらい、街角で流れていて、ふと足を止めたりする。
「なんていう曲なんだろう」

ずっと気になっていた。
でもメロディしかわからなかったので、なかなか曲名が判らなかった。
インターネットの検索サイトもメロディから曲名を探す役には立たなかった。


そして先日、東京の喫茶店で話をしていたときに、この曲が流れた。

急に頭の中に奇妙な歌詞が浮かんだのは、そのときだった。

「楽しかーったひとときがー、今はもうすぎてゆく~」

?!

なんだこの歌詞は?

それから、次々とキーワードが浮かんできた。

「井上 順?」
「カックラキン大放送?」

頭の中で何かが繋がったような気がした。

帰ってきて早速 Google で検索した。

直ぐ見つかった。
「哀しみのソレアード」という曲だった。
英語では、"Soleado―When A Child Is Born―" というらしい。

もう随分と前だが、「カックラキン大放送」という番組 (堺正章やラビット関根、研ナオコ、野口五郎等が出演していた) のエンディングで井上 順が歌っていた旋律が、まさに探していた曲だったのだ。

余りにも違うシチュエーションで聞いたために、頭の中で結び付くのに十年以上掛かってしまったようだ。

ともかく、長年の疑問がようやく解けた。
今は晴れやかな気分だ。


同様な体験は、以前にもある。

  • 小学校の図書室で読んだミステリーのラストがものすごく印象に残っているが、タイトルを覚えていない。
  • 子供の頃テレビで見た西部劇がとても面白くかったのを覚えているが、タイトルを覚えていない。

そして、どれも数十年の気掛かりの後に、ふとした機会に判明した。
そのミステリーの本も西部劇のビデオも何とか探し出して、今は手元にある。

今残っているのはこれ。

  • 子供の頃に食べた或る食べ物の味の記憶だけがあるが、何という食べ物なのか、今どうやったら手に入るのか、分からない。

これは多分もう分からないんだろうな。

2005年04月20日

JAL名人会 ~守破離の教え~

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先日、INETA Japan 総会 に出席すべく、飛行機で移動した。

機内では音声のみの寄席が放送されている。
# ANA では「全日空寄席」という番組だが、行きは JAL だったので、「JAL名人会」という番組だ。

桂米丸師匠の出演だった。

新作落語ばかりやることで有名な方で、長く落語芸術協会の会長をやっていた方だ。

私は、20年前くらいに落語が好きでよく聴いていた。
その頃は、三遊亭圓生や柳家小三治、桂米朝桂枝雀なんかが好きだった。
米丸師匠は余り好きな噺家ではなかった。

それを久し振りに聴いた。

これが、思いのほか素晴らしかった。
米丸師匠も80歳を過ぎたそうで、昔の飄々とした語り口は残しつつも、深みを増している。
改めて芸の道の道程の長さを感じた次第。


このときの演題は「入門の頃」。入門したての若い頃、師匠についての修行時代の思い出話だ。

彼の師匠の五代目 古今亭今輔という方は、大変な苦労をして中年から売れた噺家だそうだ。

その今輔師匠に随分と可愛がられ、噺を教わって言われたことは、
「とにかく俺がやっているようにやれ」
ということだったそうだ。
若い頃の米丸師匠は、今輔師匠に言われた通り、声色からしぐさからそっくり師匠のまんまにやるようにしたそうだ。

暫くして、段々笑いが取れるようになってきた。
しかし周りの先輩芸人には余りよく思われなかったようだ。
或る日、いつものように今輔師匠そっくりにやって高座を降りると、他の師匠に呼ばれてこう言われたそうだ。

「最近、お客さんが笑うようになってきたようだが、あの芸はお前の師匠のコピーだ。自分の芸じゃない。」

師匠に言われたとおりにやってきたのに、こういうことを言われ、若き日の米丸師匠は、やつれる程悩んだそうだ。

その様子を心配した今輔師匠に呼ばれて、何度も問い詰められたあげく、「実はこうこうこういう訳で」と告白すると、今輔師匠は、とても困った顔をして黙りこんだ。
そして、暫くしてこう言った。

「あの師匠は良い人だが、お前の成長には何の責任もないんだ。俺にはお前を立派に育てる責任がある」
「噺家を始めて一年や二年で自分の芸でやっていけるもんじゃない。
先ずは俺の十八番の芸をそっくりお前に教えてやるから、それをそっくり真似できるように練習するんだ。
それでうまくやれるようになったら、そこから自分の芸というものを生み出していくんだが、それは二十年先の話なんだ」

そこで米丸師匠が、芸の道でも書道でも武道でも初めは師匠の真似なんだ、だから、良い師匠に出会うことがとても大切だ、自分は幸せだ、ということに気付いたという話。

若き米丸師匠の実際の体験とそのときの熱い思いが語られていて、じーんときた。

2005年04月25日

嫌いな言葉 その一

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嫌いな言葉 その一:
『それって理想論ですよね。現場はそんなにうまくいかない』

例文.


  • 「エクストリーム・プログラミングなんて理想論ですよね。現場じゃそんなにうまいこといかないですよ」 (*1)


一般解を全部「理想論」で片付けてしまう。

「現場はいつも問題に満ちている」というのは現実だが、いつもいつもずっと昔から同じような問題で困っている、というのは、それは現場のあるべき姿なんだろうか。

  • 「自分の現場は特殊だから一般解など当て嵌まらない」と考えていて、
  • 「問題を毎回一から解こうとする」ため、
  • 「車輪の再発明」になり、先人の知恵を活かせず、
  • 「場当たり的な問題解決」に成ってしまう。

それって、「理想論」どころか、理想にも現実にも即していないのではなかろうか。

現場はいつも大変でつらいもんなんだ、と思いたいだけ。
「現場はそれほど甘くない」なんて口にしてしまったら成長はない。


(*1) 寧ろ、理想通りに行かないからこそ、現実的な近似解を求める方法としてアジャイルがあるのだけど。

2005年05月02日

運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴

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運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴』 (ZAKZAK より)


上記記事より引用:

---- 引用ここから ----


●ゲーム脳か●

 「ゲーム脳の恐怖」の著書で知られる森昭雄・日大教授(脳神経科学)は高見運転士の行動をこう分析する。

 「高見運転士は過去3回も乗務員として重大なミスを犯しながら、自身で再発防止ができておらず、注意力が散漫な印象を受ける。伊丹駅でのオーバーラン後、指令の呼び出しに応答がなかったのも、故意であるとすれば、大事な場面で倫理的な行動がとれず、キレやすいというのはゲーム脳の特徴とよく似ているともいえる。JR西日本は運転士に関する情報を開示するなど、徹底検証が必要ではないか」

■ゲーム脳 テレビゲームに熱中すると、人間の脳波にはβ波が出ない場合がある。この状態になると思考活動が衰え、無気力、感情の爆発など、いわゆる「キレる」状態になるという。また、携帯電話を頻繁に利用する人も「ゲーム脳」になると指摘されている。


---- 引用ここまで ----

同サイトでは、寝屋川事件のときも「ゲーム脳」に関する記事を載せている。


テレビの報道番組などでも、未だに「ゲーム脳」のような滅茶苦茶な主張が後を絶たない訳だが、このような悲惨な事故の記事で、このようなことを書くのは不適切だ。ふざけているのか、と腹立たしく思う。


実際はふざけている訳ではなく、「ゲーム脳」に関する森昭雄教授の主張を全く知らないか、或るいは、自分の頭で全く考えようとしていないかのどちらかなんだろう。

このような「ゲーム脳」という言葉に思考停止してしまっている人たちの脳のことを「ゲーム脳脳」と呼ぶそうだ。

もう面白ければ何を言っても良いのか? という感じ。自分の脳で判断をしようとしないマスコミが、いたずらに恐怖感を煽る。
こういう煽りは、テレビでもよく見掛ける。
本当に危険なのは、「ゲーム脳脳」を持ったマスコミが、このような形で大きな影響力を発揮してしまうことだ。

「ゲーム脳」の論理は『買ってはいけない』(週刊金曜日別冊) でのそれと同様だ。

こんな論理で何かの危険性を論じて良いのなら、何だって危険になってしまう。

  • 殺人事件の犯人には、スポーツ経験者が多い。運動のやり過ぎは、人を攻撃的な性格に変える危険がある。
  • 少年犯罪を起こした少年は、朝起きて歯を磨く人が多いことが統計上明らかになった。歯を磨くと脳が凶暴化する危険がある。

有名なジョーク「ジハイドロジェン・モノオキサイド」のように。


「ゲーム脳」については以下を参照のこと:

2005年05月10日

思考実験

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思考実験は楽しい。

「科学の方法」に従って思考すれば、或る仮説について論証したり反証したりすることができる。


上記サイト哲学コラム科学コラムはどれも中々面白い。
とても判り易く書かれているし、エッセイ風の文章には力が有って、読み手を厭きさせない。


ちなみに、どこでもドアの思考実験でテーマとなっているのは「この私」というクオリアだ (自分にとっての特別な「この私」という誰とも共有できない概念)。
同サイトから引用すると:

<この私>

「哲学的言説については、きまって「私」一般を論じている。それらは万人にあてまるものにすぎない。『この私』はそこから抜けおちている。私が哲学になじめなかった、またはいつも異和を感じてきた理由はそこにあった。」 柄谷行人

「『私』が本当に知りたいことは、一般的な 『私という概念』 についてではなく、まさに 『この私という現象』 についてなのだ。」 飲茶

2005年06月02日

嫌いな言葉 その二

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嫌いな言葉 その一の続き。

『高橋、頑張れ』

マラソンでランナーを路の傍から「高橋、頑張れ」などと応援している人がいる。

しかし、あなたが応援していることに関して、あなたが応援しているその人は、既にすごく頑張っているんだ。
少なくとも、ことマラソンを走ることに関しては、大して頑張ってないあなたに「頑張れ」などと言われる筋合いはない。

え、何? いや、言い訳なんか聞きたくない。
「俺も頑張らなくちゃなー」と心の奥底でひっそりと自分の半生を振り返る、とかじゃ駄目なのか。

大体「頑張れ」って。命令形だし。
せめて「頑張ってくだされば嬉しく存じます」とか、言い方っちゅうもんがあるだろう、あんた。
あ。興奮してしまった。「あんた」なんて言ってごめんな。


で… 「頑張れ」の代案だが:
「いいぞ高橋。お前は今最高に輝いてるぞ!」とか言うのはどうか。
少しこっぱずかしいかも知れんが。

2005年08月25日

ご静聴ありがとうございました

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講演会などをよく聴きに行くのだが、その時に使われるパワーポイント等の資料でどうにも気になることがある。

まあどうでも良いことと言えばどうでも良いことなのだが、パワーポイント等の資料の最後が、


「ご静聴ありがとうございました」

となっているものをよく目にすることだ。

なんだか年寄りくさくて恐縮だが、静聴という言葉は、「私語したりせずに静かにして聴く」という意味で、会場がざわついていて、それが講演に差し支えるときなどに、司会者が、


「どうかご静聴をお願いします」

のように使うものだ。

「ご静聴ありがとうございました」

は、「静かに聴いていただいてありがとうございました」の意味で、この言葉の使い方は間違いではない。間違いではないが、講演の最後をこれで締めくくられると、とても違和感がある。

同じ読みで清聴という言葉がある。「他人が自分の話を聴いてくれることを敬っていうときの言葉」で、静聴とは意味が違う。
こちらを、


「ご清聴ありがとうございました」

のように使う。「私の話を聴いてくださってありがとうございました」の意味だ。
こちらの方が本来の使い方で、しっくりくる。

2005年09月06日

サイクロンとハリケーンと台風

※ 元ネタは、おかじま さん の日記。

をクラス図で表現。
cycloneclassdiagram.gif

2005年09月07日

ブログで「もんたメソッド」

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ブログで「もんたメソッド」の実験。
※ 隠れている部分を順番にクリックしていく。

「もんたメソッド」は、「午後は○○おもいッきりテレビ」で司会のみのもんた氏が行っているように、文章の要所を隠しておいて、それをひとつひとつ見せながら行うプレゼンテーションの手法。 隠しておくことで、
  • 注目させる
  • 考えさせる
という効果がある。

※ JavaScript が有効になっていないと動作しない。

2005年09月14日

嫌いな言葉 その三

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嫌いな言葉 その二の続き。

『お前に俺の気持ちが分かってたまるか』

同情されたくない、ってことなんだろうけど。
甘えてるんじゃないのか。


『あ。それ買ったんだ。いいなー。欲しいなー。本当は欲しいんだけど高くて』

つまり、その金額払ってまでは要らないと。
本当に欲しかったら買うだろう。「本当は要らない」から買わないんだろう。
まあ、情では欲しいが、理性では要らないんだ、というニュアンスは理解できるが。


『社会にでたら、数学なんて役に立たないよ』

自分には、たまたま役に立たなかった、というだけだろう。それを一般論みたいに言われても。
例えば、自分がたまたま稲作に従事しなかったからといって、
「社会にでたら、稲を作る技術なんて役に立たないよ」
なんていうだろうか。
携帯電話が使えるのだって、テレビが見られるのだって、誰かが数学を勉強して社会で役立てたおかげだろう。


『私って意外と○○なんですよー』

「皆さん私のこと、○○じゃないんじゃなかろうか、と思ってらっしゃるんでしょうけれど、本当はそうじゃないんですー。じ・つ・は・○○なんですー。私は人気者だから、さぞ皆さん興味をもって色々と想像してらっしゃることでしょうけどー」のようなニュアンスに聞こえる。
自意識過剰ではなかろうか。「意外」も何も、悪いけどこんな人のことなど考えたくない。


『ピアノが弾ける人ってうらやましい』

練習しないで弾けてるわけじゃないんだから。自分も練習すればよいのでは。
「もしもピアノが弾けたなら」も同様。何も努力してこないでおきながら自分の現状を悲しんでる暇があったら、とっとと練習始めろって。

2005年10月06日

The "Takanashi Method" & The "Monta Method"

※ わたやん さんからの情報。

Presentation Zen

2005年10月21日

飲みニケーションと陰口

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■ 「飲みニケーション」について

飲みニケーション:
「陰口を言い合って日頃の鬱憤を発散させること」

会社の飲み会にいくとよく感じることだ。
※ 注: 今の会社ではない。

飲み会になると、急に会社や組織の長などの悪口を言い合う。
「もっとこうすべきだ」とか「うちの課長はわかってない」とか。
でも、その課長本人と飲みに言ったときには、けしてそれを提案することはない。
今度はその課長と部長の悪口を言ったりする。

■ 陰口について

私は、飲み会で陰口を言い合うのは、いかがなものかと思う。
陰口は、非生産的だ。何も生み出さない。
Plan (計画) - Do (実行) - See (評価) のサイクルにおける評価とは、目的が異なるもので、「フィードバックがない」から「改善」に結び付くことがない。

でも、ガス抜きのために必要だ、と考える人はいるみたいだ。

組織に所属してお金をもらっていると、色々我慢しなければならないことや納得できないことが多いようだ。
それをガス抜きをしないでいて人間関係に支障をきたすより、時々陰口を言ってガス抜きをした方が寧ろコミュニケーションにとって良い、と考えているようだ。

でも私の考えでは、陰口などなくても、組織は回ると思う。
それより、少しずつでも、難しくとも、組織が良い方向に向かっていくようにすることで、不平不満を減らすようにする方が良いと思う。

大抵は組織内部の利害関係は複雑なことが多く、そう単純ではない。
改善を願っている人ばかりではないからだ。
だが、その方が良いと思う。ベストではなくともベターだと考える。

■ 陰口を言う人について

私の考えでは、陰口というのはごく個人的なものだと思う。
その人の性格によるものだと思う。

表立って批評や批判するのは、私は全然構わないと思う。されるのも受け入れるべきだ。
批判には、謙虚に耳を傾けるべきで、これは、ひとりよがりになりがちな自分としては、大切な態度だと思う。
だが、陰口は批判とは基本的に性質の異なるものだ。
それは、本人がその場に居るか居ないかの差ではない。

姿勢の違いだと思う。

批評・批判する人と違って、陰口を言っている人には、改善するつもりがない。
単に発散したいだけなのだ。

以前、陰口を言っている人には改善するつもりがない、と言うことを知らなかった私は、陰口を言っていた人に改善案を持ちかけて、無視されたばかりか、後でその人に陰口を言われる破目になったことがある。

それから、陰口を言う人は、批評・批判の方は好まない。

「表立って批評や批判」をしたことで、陰口好きな人から後で陰口を言われた、という体験をしたことがある。
「人前であそこまで言わなくても」ということだったらしい。

私としては、「陰で言っていても本人に伝わらなければ何も変わらないじゃないか」というつもりだったのが。

「陰口をいう人達とは、どうも価値観が違うらしい」というのがそのときの感想だ。

■ 陰口を恐れることについて

私は、陰口を恐れるべきではないとも思う。

以前は、会社の飲み会などで「いつもの陰口の言い合い」が始まると、この人たちは自分の居ない席では、こんな風に自分の悪口も言うことがあるんだろうな、と気になったものだ。

陰口を言われたことを知ってしまうと、それは人間だから凹む。

だが、最近は「こんなことを言うと、後で陰口を言われるんじゃないか」などと気にしなくなった。
陰口は批判とは基本的に性質の異なるものだ、と思うようになってからは、陰口を言われるかも、というのは余り気にしないでいられるようになった。

陰口など気にして、やりたいことの矛先が鈍るようでは駄目だ。

# でも「私は陰口を気にしない」なんて書くところをみると、私は陰口を多少は気にしているようだ。
# 本当に陰口を気にしない人は、「私は陰口を気にしない」なんて書かないだろう。

■ 改めて陰口を言う人について

色々陰口を言う人について述べてはきたが、私が最近気付いたことは、
「陰口を言う人というのは、自分が陰口を言われる可能性を許容しているらしい」
ということだ。
つまり、陰口を言うことを別に悪いことだとは思っていない、ように思う。
それならそれで筋が通っている。単に私と価値観が違うだけ、と納得したりもするのだ。

2005年12月09日

敷居が高い

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コミュニティなどで見かける「敷居が高い」という言葉の誤用が、最近気になる。

「あそこのコミュニティは初心者にとって敷居が高い」
のような文をよく目にする。

この表現は間違いだ。

「敷居が高い」は「水準が高くて手を出しづらい」という意味ではない。
「不義理などをしたために、心にやましい所があって顔を出しづらい」という意味だ。

この誤用は多い。結構頻繁に目にする。
例えば、Google で「敷居が高い」を検索してみると、上位20件のうちの19件が誤用。
# 残りの1件は、 goo 辞書。

検索された誤用例:


  • 産婦人科って敷居が高い?

  • 敷居が高い ― ネット上のコミュニティに参加した時に、何となく感じる事があるもの。

  • コストや導入期間といったことが原因で、大企業以外の企業にとって“ERPそのものの敷居が高い”

  • ユーザーには敷居が高いサービスになってしまっているようだ。

  • 輸入時計は敷居が高いと思っていませんか?

  • メーリングリストは敷居が高い?

  • ジャズは敷居が高い。

よく、
「誤用、誤用というが、言葉は生き物だ。変化していくものだ。多くの人に使われていけばいずれ誤用でなくなるかも知れないんだ」
のようなことをいう人がいる。

そりゃそうだ。
私も、誤用をすべてなくすべき、とは考えていない。例えば、「ら抜き言葉」なんかは、今、正しい日本語になっていく過渡期なのかも知れない。そうした言葉の変化も文化のうちだと思う。

だが、「敷居が高い」の誤用は、明らかに「ハードルが高い」と意味を勘違いしたものだ。

「よく判らない言葉を背伸びして無理に使って、勝手に間違えた」みたいな格好悪いのを認めるのはどうなんだろう。
日本語にそんな格好悪い表現が増えていくのは、私は嫌だ。

同じような例として、以下に「混交表現」をあげてみる:


  • 嫌が応にも

  • 熱にうなされているようだ

  • 足元をすくわれた

  • 思いもつかないことだ

  • 口を濁した

  • 念頭に入れなければならない

  • 腹をくくった

  • 絆を深めた

  • 雪辱を晴らした

  • 腹が煮えくりかえる思いだ

  • 寸暇を惜しまずに働いた

  • 彼の悪事が明るみになった

  • 白羽の矢を射止める

  • 昔日の感がある

  • 社長の胸先三寸だ

  • 口先三寸

  • 戦いの火蓋が切って落とされた

  • 物議を呼んだ

  • 法外の幸せだ

  • 期待倒れだった

  • 怒り心頭に達っした

  • 燃えたぎる思い

  • ケンケンガクガクの議論

  • 体調を壊してしまった

  • 愛想を振りまいた

これらは全部間違った表現だ。
似たような言葉と間違えて使っているもので、「格好悪い誤用」の例だと思う。

2006年01月17日

剃刀負け

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一昨日のことだ。

新年会の翌朝を「あわづグランドホテル」で迎えた俺は、ホテルの洗面所で、備え付けの安全剃刀(かみそり)を使って髭を剃っていた。
すると、安物の剃刀らしく剃り跡から点々と血が滲んできた。所謂(いわゆる)「剃刀負け」というやつだ。

「剃刀負け」?

そこで突如として、疑問が浮かんできた。

「剃刀負け? 果たしてそうだろうか?」

剃刀が勝ったのか負けたのか、どちらかを選ばなければならないとするならば、剃刀の勝利ではないのか?
もしこれが、俺の顔が何ともなくて、剃刀の刃が欠けていたのであれば「俺勝ち」、「剃刀負け」だろう。だが、俺の方が傷付いていて剃刀の方はぴんぴんしている。

これのどこが「剃刀負け」か。「剃刀勝ち」の「俺負け」ではないか。
どう贔屓(ひいき)目に見ても俺は勝ってないだろう。無念ではあるが、負けを認めざるを得ないところだろう。ここは。
いいとこ引き分けだ。
それなのに、「剃刀負け」?

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ここで、あなたは、「いや、『剃刀負け』というのはそういうことでない」と思うかも知れない。「『剃刀負け』というのは『剃刀に負けた』とか、『剃刀によって生じた負け』とか、そんな風に解釈すれば良いのでは」のように言い出すかも知れない。

# 「別にそんな話はどうでも良い」という人は今はちょっとあっちで待っててね。おじさんは反対意見の人と少し話があるからね。

で、「いや、別に『剃刀負け』という表現で良いのではないか」というあなた。そう、あなた。

では仮に、あなたが、ボブ・サップと K1 で戦ったとする。仮にだ。
で、まあ当然ボブ・サップが勝ったと。
# 「いやいやいや。俺が勝つだろ。そんなもん」と言う人は、ちょっと今だけあっち行っててね。話がややこしくなるからね。

あなたが負けたわけだ。残念な結果だが仕方がない。色々と言い訳をしたいかも知れないけれど、まあ結果は結果なので受け入れてほしい。

無傷のボブ・サップと傷付いて倒れているあなた。

でだ。これを「ボブ・サップ負け」とあなたが表現して、ボブ・サップが納得するか?
「あなた負け」の「ボブ・サップ勝ち」だろ、そんなもん。
「いやいやいや。俺なら納得させられる」と言う人。あなたボブ・サップと戦って負けてるんだからね。そこんとこ忘れないように。

「いやそれでもボブ・サップから目をそらさずに楽勝で『ボブ・サップ負け』と言える」という人以外は、「剃刀負け」という表現を使っちゃ駄目。

え? 「同じクラスの田中くんも『剃刀負け』という言葉を使ってた」?
あんた、田中くんに「死ね」って言われたら死ぬんか?
え? 「クラスの人がみーんな『剃刀負け』って言ってる」?
みんなって誰と誰やねん。どうせ田中くんだけやろ? 田中くんの話は、もういいの。

あなたはどうなの? という、あなた自身の姿勢が今まさに問われようとしているんよ。
え? どうなのよ。そこのところ。一体全体。


……まあ、「剃刀負け」の話はこのくらいにしといてあげよう。


同じように、能登の名物「ひっぱり餅」についても、言いたいことは色々とある。
今は多くを語らないが。
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「ひっぱり餅」? ひっぱったのは餅でなくて多分人間だろう。
だとしたら「ひっぱり人間」じゃないか。で、餅の方は「ひっぱられ餅」とか何とか。

ここで、「作用・反作用の法則」とか言い出す人がいるかも知れない。「物理的には同じように力を受けていて、どっちが『ひっぱった・ひっぱられた』とか言えない」とか、言い出すかも知れない。
或るいは、「日本語の文法は英語などとは違って…」などと言い出す人がいるかも知れない。

まあ、そういう反論がある方には、再度ボブ・サップに登場願ってあなたの首をひっぱってもらうことになるのだが。

この話はまたいずれ改めて。ゆっくり。

2006年01月26日

「やりたくないけどやってる」なんてものはない

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■ 「やりたくないけどやってる」なんてものはない

タイトルは、今日 chikura さん の日記を読んでいたら書いてあった言葉。
インスパイア (謎) されたので、私も書いてみる。

chikura さん の言葉を、勝手に chikura さん の日記から引用。


「今、貴方がしているそれは、
 自分がやりたいと思ってやっている事なんだ。
 世の中に、
 “やりたくないけどやってる”
 なんてものは一つもないんだ。」

同意。
私が反抗期の頃に、周りの大人に抱いた思いだ。
その通り。「やりたくないけどやる」なんて有り得ない。

「やりたくないけどやる」のが、良いか悪いかということでなく、有り得ない。

※ これに関して、以前「自由」について書いた文章がある。


■ 「やりたいけどやらない」もない

同様に、「やりたいけどやらない」も有り得ない。

  • 「本当は買いたいんだけど、高くて手が出ない」
    →「本当は」買いたくないんです (それがどんなに高価であるかによらない)。
  • 「本当は行きたいけど、その日は都合で行けない」
    →「本当は」行きたくないんです (その都合がどんな重大な都合であるかは関係ない)。
  • 「こんな会社できれば辞めたいんだけど…」
    → 「本当は」辞めたくないんです。

買いたいけど買わない方を選ぶなんて有り得ないし、行きたいのに行かない方を選ぶなんて有り得ないし、辞めたい会社を辞めないなんて有り得ない。

※ 注:「大人の会話」で、上記のような表現を選ぶのは当然のことで、それは全然別の問題だ。


■ 「仕方なく嫌々やっているんだが」

或る人の言:


「いや本当は別のことがやりたいんだが、そちらが不可能なので、仕方なく不本意ながらこっちをやっているんだが」

繰り返しになるが、「やりたくないけどやってる」なんてものはない。

先ず、「そちらが不可能なので」というのは、それは、本当に不可能なのか。



  • 「できないと思いこんで事にあたるのは、みずからできないようにする手段である」 ― ワナメーカー

  • 「自分にできないと考えている間は、本当はそれをやりたくないと心に決めているのだ。だからそれは実行されはしない」─ スピノザ

  • 「成功者のひとりごと『そうしたい。必ずできる』敗北者のひとりごと『やらな
    ければならない。でも、できない』」─ デニス・ウェイトリー

  • 「あなたの進歩を妨げているのは、あなたが何であるかではなく、あなたが自分を何だと思っているかである」─ デニス・ウェイトリー

  • 「誰もが自分自身の視野の限界を世界の限界だと思い込んでいる」─ アーサー・ショーペンハウエル


不可能でないなら、それをやらないのは、やりたくないからだ。
やらない方を自由意志で選んでいる。
※ もちろん、やらないのが良いか悪いかは全然別の問題だ。

もし仮にそれが「本当に不可能」だとすると、それは「有りもしない選択肢」だ。
それは、「本当にやりたいこと」なんかでは有り得ない。



  • 「考えても仕方がないことは考えない。考えなくてはならないことは徹底的に考える」─ 石塚巌

  • 「どうにもならなきゃ、放っておく。そいつが一番だ」─ 井沢元彦

  • 「気に入らないものは、棄てておくか、あるいは改善するかである」─ ゲーテ

  • 「持っていないもののことを気にしていると、持っているものを無駄にしてしまいます」─ ケン・ケイエス・ジュニア

  • 「人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに成長しなくてはならない。そしてただ、自分の置かれた状況のなかで最善をつくすべきだ」─ スティーブン・ホーキング

  • 「自分の限界を考えたことはありませんし、限界の存在は悲しむべきものではありません」─ ヘレン・ケラー

  • 「我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の四分の三を喪失してしまう」─ ショーペンハウアー


これは、やりたい、やりたくない、という言葉の定義の問題ではない。
それは全く違う。

「本当は別のことがやりたいんだが、そちらが不可能なので、仕方なく不本意ながらこっちをやっている」

という言い方には、「覚悟」がない。
そこが決定的に駄目だ。


■ 全ての人はそれまでの人生で「本当にやりたいこと」だけをやってきている

私も、「本当にやりたいこと」だけをやってきた。
そしてこれからもそうだ。
そういう「覚悟」をもっていたい、と思う。



  • 「われことにおいて後悔せず」─ 宮本武蔵


2006年04月13日

ジョーク「サービスエリアのトイレにて」の三ヶ国語訳

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2006年05月09日

UFO は存在せず

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最近、以下のニュースが話題になっているようだ。

* 「UFO は存在せず 英国防省が結論

今朝テレビを観ていると、フジテレビの番組「とくダネ!」のオープニング トークでこの話題を取り上げていた。

こんな調子だった。

小倉智昭 さん: 「英国防省が UFO が存在しないという調査結果を出した」 「この広い宇宙にはすごい数の星がある。地球外生物が存在しない、なんてことはないだろう」 「夢がない」

笠井信輔 アナウンサー:
「『UFO が存在する証拠がない』から UFO が存在しないというなら、『UFO が存在しない』証拠を出せってんだ!」

小倉智昭 さん:
「俺が言ってるんじゃないんだ。文句があったら英国防省に言ってくれ」

実はこの番組は、私の大好きな番組だ。小倉智昭 さん のオープニング トークも好きで楽しみに観ている。

しかし今朝のこの話には、なんというか、あきれた。この論理展開は、まさに「トンデモさ爆発」だと思う。

ステレオタイプな見方で申し訳ないが、何故マスコミって科学的なものの見方・考え方がこんなに下手なんだろう。


ツッコんでいくと:

* 「UFO は存在せず 英国防省が結論」

そんなわけないだろう。UFO の不存在証明なんか科学的にやれるわけがない。不可能なことは明白だし、「UFO は存在せず」なんて調査報告書が存在したとしたら、その調査報告書が眉唾であることは私にだって分かる。そんな調査報告書を英国防省が出すはずがないし、出していない。

英国防省の報告は「調査した限りでは空飛ぶ円盤が存在する証拠はなかった」ということであって、「UFO は存在せず」とじゃ全く意味が違う。「UFO は存在せず」なんて空飛ぶ円盤懐疑派の人ですら殆ど誰も言っていない筈だ。まあ、大槻義彦教授だったら言うかも知れないが。

「UFO は存在しているだろう。だが、『空飛ぶ円盤』と言われるものが存在しているかは不明だ。今のところ、存在している証拠はないようだ」というのが、科学的なものの見方であって、英国防省の報告もこの範疇のものだ。それに対して、「UFO は存在せず」と言うことは、めちゃめちゃ非科学的な態度だ。


* 「地球外生物が存在しない、なんてことはないだろう」

ましてや、「地球外生物が存在しない」なんて、誰が言っているんだ。そんなこと。
「地球外生物の不存在証明」なんて不可能に決まっている。大体、今回の英国防省の報告書の結論とは全然別の主張だ。


* 「『UFO が存在する証拠がない』から UFO が存在しないというなら、『UFO が存在しない』証拠を出せってんだ!」

こういうのを「悪魔の証明」という。「悪魔は存在する。存在しないという主張は間違いだ。存在しないというなら、その証拠を提示せよ」というやつだ。こんな論理を使って良いのであれば、どんな無茶なものの存在だって主張できる。

存在の証明を求めるのは「非論理的・非科学的な態度」だ。当然のことながら、存在を主張する側に証明責任がある。


* 「俺が言ってるんじゃないんだ。文句があったら英国防省に言ってくれ」

子供でも分かるような「間違ったニュースの見出し」を元におかしな論理展開を行うのが良くない、と思う。

「UFO は存在せず」なんてマスコミしか主張していないことに対して反論したあげく、「科学というのは夢がない」とか言わないで欲しい。

宇宙や地球外生物に興味を持った人が、夢を持ち、宇宙に憧れ、宇宙について「知りたい」という強い思いから、実際に「知ろう」としている。それが科学的な態度だ。宇宙や地球外生物にそれほど興味がなく、「知ろう」ともしていない人が、「科学者は夢がない」と言うのを聞くと、なんだかなあ、と思う。

頼むから UFO について全国的にコメントするのであれば、少しくらいは「知ろう」としてから発言してほしい。

2006年09月26日

BARBAPAPA からの気付き

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『バーバパパ からの気付き』

■ バーバパパ

最近娘が、バーバパパにはまっている。毎日のように観ている。

私も子供の頃にバーバパパを楽しく観た口だが (何せ三十年余りも前に放映されたものだ) 、同じアニメーションに我が子が夢中になっているのは感慨深い。

さて、先日娘が観ているのを横から何気なく観ていた。そのときは、バーバパパの七人の子供たち (もちろんバーバララ、バーバリブ、バーバベル、バーバモジャ、バーバズー、バーバピカリ、そしてバーバブラボーのことだ。全員言えるよね?) が生まれる前の回をやっていた。

最初は、人間の家族と一緒に暮らすバーバパパ のシーン。バーバパパの家族はまだいない。バーバパパは、バーバママに会いたいのに会えなくて、寂しさの余り病気になってしまう。そして、バーバママを探して世界中を旅するバーバパパ。やがて巡り逢う二人 (という表現でいいのか?)。逢えたことを喜び合う二人には、間もなく七人の子供が生まれてくる (もちろん土の中からだ)。

そこでふと思った。

「お? 子供が生まれる前から、"バーバパパ" と "バーバママ" なんだ。バカボンのパパと同じじゃん」

※ バカボンのパパは生まれたときから「バカボンのパパ」なのだ。本名なのだ。もっとすごい (謎) のはバカボンのママで、バカボンのパパと知り合う前から「バカボンのママ」なのだ。これでいいのだ。

※ ところで、ムーミンパパは子供の頃は「ムーミン」と呼ばれていた。知ってた?


■ 「バーバパパって親になる前からバーバパパなんだ」

普通、パパ、ママ、父、母、というのは、相対的な呼び名。誰かを基準にして決まる名前 (UML のクラス図でいうとクラス名じゃなくてロール【謎】)。誰からみても「父」という人はいない。

でも、「バーバパパ」、「バカボンのパパ」というのは絶対的な呼び名。誰からみてもパパ。

で、気付いたこと。

「これって子供の目線なんだ」childeyes.jpg

バーバパパを楽しむ年頃の幼い子供にとって、「パパ」と「ママ」は絶対的な呼び名。パパはパパだし、ママはママ。まだ相対的なものにはなっていない。

だからバーバパパはずっとバーバパパ。バーバママもずっとバーバママ。

そして私の三人の子供たちよ。君たちのパパとママも、ずぅーっとパパとママ。

2007年03月31日

質問を受ける態度

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先日米国で幾つかの技術系セッションに参加したのだが、その折に感じたことを書いてみる。

日本で技術系のセッションに参加すると、聴衆は結構皆行儀が良いというか、大人しくきちんと話を聴いている。

ただし余り反応もなく、話に関心があるのかないのか、賛同しているのかどうかが、比較的分かりづらい (他人のことは言えないのだが)。

反応なくじっと聴いているので、うけなかったのかと思うと、事後のアンケート結果が割と良かったりする。

それに対して、米国のセッションでは、全然雰囲気が違う。聴衆のセッション中の反応が実に豊かだ。賛同の声を上げたり、途中で拍手したり、ジェスチャーで表現したり、質問したり、ちゃちゃを入れたり、頷いたり。

また、ジョークが当然のように入り、聴衆はきちんとジョークに反応する。

どうやら、聴衆の方にもセッション自体の価値を上げる責任がある、と考えているようなのだ。

特に感じたのが、よく質問をする、ということだ。セッションの後に、質問が何十分も途絶えない、ということがよくあった。

質疑応答は重要である。質疑応答によるその場での直接的な遣り取りによって、参加者は「独りで本や Web で学ぶ」ことでは得られないセッションならではの生の知識を得ることができる。講師にとっても重要なフィードバックの機会となる。

このような活発な質疑応答には聴衆の参加意識が重要だ。そして、それ以上に講師の方の質問を受ける態度が重要なようだ。

私は、米国でのセッションの質問者の態度に感動を覚えたが、それ以上に講師の方が質問を受ける態度にも感心した。その幾つかのポイントを次に挙げてみたい。

質問を受ける態度:

  • 「質問の復唱」
    内容 質問を講師の言葉で復唱していた。
    効果 これには二つの意味があると思う。
    • 「あなたの質問を私はこう理解しましたよ。こういう理解に基づいて私は回答するんですよ」と質問者に確認する意味。
    • 質問者以外の聴衆に質問内容をしっかりと伝える意味。これは、「質問者と私の1対1のコミュニケーションではなくて、参加者全体でのコミュニケーションなんですよ」という宣言にもなる。

  • 「質問の整理・分類」
    内容 ホワイトボードなどに箇条書きしていくことで、複数の質問を整理・分類していた。
    効果 これにも幾つかの意味があると思う。
    • これまでの質問を参加者が理解しやすくなる。
    • 全参加者で問題を共有することができる。
    • また、ブレインストーミングの効果がある。

  •  「質問の評価」
    内容 回答の前に質問自体を評価する。質問を聞いた講師の一言目は、質問に対する評価になっていることが多かった。先ず、「それは重要な点ですね」とか「良い質問です」とか言って、その後で回答を述べていた。
    効果 こうすることで、質問の価値を上げ、質問者のモチベーションを上げることができる。

  • 「結論を先に」
    内容 回答の頭で結論を答えていた。「まさにその通り」や「それはXXXです」のように、質問への端的な答えを先ず言って、その後でその理由や詳細な説明を話していた。
    効果 理由や詳細を長く話してその後で結論をいうより、断然理解しやすい。

  • 「真摯な回答」
    内容 きちんと答えていた。答えをぼかさない。質問の意味が分からないときは、分かるまで聞き返し、適当に答えないようにしていた。
    効果 質問を大切に扱うことで、質疑応答の価値を上げられる。

  • 「質問者が偏らないように」
    内容 均等に質問をとっていた。新たな質問者を優先していた。
    効果 これも「1対1のコミュニケーションではなく参加者全体でのコミュニケーション」とするために重要だ。

2007年06月14日

時間について

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u_1roh さんのところ:


で色色と楽しく考察させていただいたので、こちらにも転載してみる実験。

-------------- 時間について --------------
「時間」について思うところを適当につらつら書いてみる:

或るとき「時間を過去から未来に向かってとぎれなく一様に過ぎるもの、と考えるのには根拠がないのではないか?」という疑問がわいた。で、今私の中ではいくつかの思考実験の結果、「多分根拠がない」という考えになっている。

「三次元空間内は様々な向きに様々な速さで移動できるが、時間軸方向だけは、過去から未来の向きだけに一定の速さで進むしかない」と考えている人が多いような気がするが、これは多分、奇妙な誤解だと思う。どの軸での移動も時間を基準に観測しているのだ。これでは、時間軸だけ一定になってしまうのは、当たり前だ。

「過去から未来までという決まった向きに対して時間の単位で観測」すれば「観測結果が一定の向きで一定の間隔になる」のは、これはトートロジーに過ぎないように思う。

# 「東から西に向かって一定の間隔で観測したら、その観測位置は東から西への向きに一定間隔で並ぶ」といっているようなもの。

とすると、人生は過去から未来に流れるもの、という考え方も単なる勘違いから生じているのかも知れない。

この辺り、時間についてもっと物理学を学ぶ必要があると感じている。


ちなみに、「タイムマシン」というアイディアも誤解に基づくものではないか、と疑っている。
あれは、「過去や未来に行く機械」ではないように思う。

例えば、所謂「のびたとドラえもんがタイムマシンに乗って1年前に戻った」という事象は、「のびたとドラえもんの時間でプラス方向に観測」している。何故プラス方向に現象が観測できているのに「過去に行ったことになる」のだろう? 「少なくとものびたとドラえもんは過去に行ってはいない」のでは?
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2007年07月13日

敷居が高い

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※ 「敷居が高い」の続き。

相変わらず、「敷居が高い」の誤用が気になって仕方がない。

「敷居が高い」は、勿論「不義理や不面目のため訪問しにくい」という意味だが、コンピューター関連記事などで、矢鱈と「レベルが高く自分には手が届かない」という意味で使われている。もう本当にこれは多い。

更に、この誤用から「敷居を下げる」といった新たな誤用も生まれている。「Linux 導入の敷居を下げる」だとか「WEB2.0 の敷居を下げる」だとか「参加しやすいように敷居を下げよう」だとか。

当然のことながら、これらは間違いだ。私には、とても違和感があって気持ちが悪い。

「いや、入りにくい心理を意味するので誤用とは言えない」という意見を聞いたこともある。だが、この場合の「敷居」は、「二度とうちの敷居は跨がせない」や「どの面さげて来たんだ。よくうちの敷居を跨げたな」でいう「敷居」なのだ。不義理や不面目によって入りにくい場合にしか使えない。「敷居が高い」を「レベルが高く自分には手が届かない」の意味で用いるのは、明らかな誤用だ。

勿論、時の流れの中で、或る言葉が本来の意味と違う別の意味を持つことはよくあることだ。「言葉は生き物」というのは、よく言われることで、それは分かる。

しかし、大体からして、「レベルが高く自分には手が届かない」の意味で使うのは、「ハードルが高い」と似ているために混同して使っているものだ。「言葉は生き物」といっても、こういう「よく知らない言葉を知ったかぶりで使って間違えたような恥ずかしい例」が定着するのはどうなんだろう。

また、「ハードルが高い」や「二の足を踏む」のような正しい言葉が他にあるのに、同じ意味のことを誤用で無理に伝えようとする必要もなかろうと思う。

…というわけで、「敷居が高い」という言葉を使う場合には、本来の「面目なくて家に行きにくい」に言い換えて違和感がないか確認することを推奨したい。

    • 使用例:
      「オブジェクト指向は分かりにくい」…。登場から30年以上経っても,未だにオブジェクト指向に対する敷居は高いままだ。
    • 言い換え例:
      「オブジェクト指向は分かりにくい」…。登場から30年以上経っても,未だにオブジェクト指向には面目なくて家に行きにくいままだ。

ついでに「こだわる」も「些細なことを必要以上に気にする」という本来の意味に言い換えてみると良かろう。

昨今、この語を「妥協せずにとことん追求する」の意味に使うことが流行っているようだが、本来否定的なニュアンスを持つこの語は、(自分に用いるのならともかく) 他人を称賛するのに用いるのには向かない、ということが分かると思う。

    • 使用例:
      「彼は、プログラミングのときのクラスやメソッド、変数の名前にはこだわっている」
    • 言い換え例:
      「彼は、プログラミングのときのクラスやメソッド、変数の名前といったどうでも良いことを気に掛ける」

「こだわる」は、食べ物を紹介する番組などでもよく耳にするが、こちらも言い換えてみると良い。褒めている心算が、相手には別のニュアンスで受け止められているのかも知れないのだ。

    • 使用例:
      (ラーメン屋に向かって) 「ご主人、ラーメンにこだわってますね」
    • 言い換え例:
      (ラーメン屋に向かって) 「ご主人、ラーメンみたいなつまらないものに執着してるんですね」

2007年12月05日

青汁三昧

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今朝テレビを見ていたら、テレビショッピングが始まった。「青汁三昧 (あおじるざんまい)」という商品が紹介されていた。

「大人気の青汁三昧!」

だそうだ。

「大麦若葉! ケール! ゴーヤ! 三種の野菜の王様を贅沢に使用!」

だそうだ。

「ビタミンC はレモンの 12.5倍!
ビタミンB1 はトマトの 159倍!
ビタミンB2 は人参の 184倍!
食物繊維はキャベツの 7.8倍!」

なんだそうだ。


なんだかすごいじゃないか、青汁三昧


……でも待てよ……
159倍だ、184倍だ、とえらく威勢の良い数が並んでるけど、これってどうやって計算してるんだろう?

……まさかと思うけど、

  • 青汁三昧の粉のときの状態と生の食品とを「重量を基準に比較したり」してないよね?
  • 「その栄養素が多く含まれてそうに思われてるけど実はそうでもない食品」と比較したりしてないよね?

そんなことしてないよね? そんなことしちゃったら、この159倍だ、184倍だ、という数に大した意味がなくなっちゃうもんね。

粉の状態まで乾燥したものと生の食品を重さを基準に比較しても仕方ないもんね。それぞれの栄養素が豊富な食品となるべく対等な条件で比較してるんだよね。

……でも、こういう宣伝での「レモン何個分」みたいな謳い文句って、結構怪しいんだよね。
意味のある比較になってないことが多いらしいし。それに、ビタミンCがレモンより豊富な食品はいっぱいあるっていうし。


まさかと思うけど (謎)、一応 (謎) 調べてみるとするか。


先ず、インターネットで青汁三昧の成分表をみてみる:

一回分 (粉の状態で 3g) あたり:
・ビタミンC: 39.11mg
・ビタミンB1: 0.23mg
・ビタミンB2: 0.26mg

と書いてある。

一方のレモンの方も調べてみる。

レモン一個 (食べる部分60g) あたり:
・ビタミンC 60mg

と書いた資料が見つかった。

ここから計算すると、レモン 3g 分だと 3mg のビタミンCが含まれていることになる。 そして、青汁三昧は、3g で 39.11mg だから……

青汁三昧は、レモンの 39.11mg ÷ 3mg = 約13倍となって、「ビタミンCはレモンの12.5倍」とほぼ一致!


だめじゃん。「ビタミンC はレモンの12.5倍」って、粉の状態で比べてるんじゃん。


でも「大人気の青汁三昧!」だしなー。「大麦若葉! ケール! ゴーヤ! 三種の野菜の王様を贅沢に使用!」だし。

実は、そこそこ実力があるのかも知れない。

よし。んじゃー試しに、実際に摂るときの状態で、他の食品と比べてみてやろう。

青汁三昧を実際に摂るときは、一回分を 100cc の水に溶かして飲むらしい。

すると、さっきの表は、こうなる。

一回分 (摂るときの状態約100g) あたり:
・ビタミンC: 39.11mg
・ビタミンB1: 0.23mg
・ビタミンB2: 0.26mg

食物繊維の含有量が分からないが、「食物繊維はキャベツの 7.8倍!」から逆算してみる:

  1. キャベツは 100g あたり、食物繊維が 2g 位。キャベツ 3g だと、2g × (3g ÷ 100g) = 0.06g。
  2. 青汁三昧一回分は、この 7.8倍だから、0.06g × 7.8 = 約0.5g。

折角なので (謎)、相手にはちゃんと強敵をぶつけてみよう。

色々調べてみて、それぞれの含有量が多そうなのを見つけた。

・赤ピーマンは、100g あたりビタミンC が 170mg。
・落花生は、100g あたりビタミンB1が 0.54mg。
・モロヘイヤは、100g あたりビタミンB2が 0.42mg。
・グリンピースは、100g あたり食物繊維が 7.7g。

だそうだ。

これらと勝負させてみよう。

宣伝文句の、

「ビタミン C はレモンの12.5倍!
ビタミン B1 はトマトの 159倍!
ビタミン B2 は人参の184倍!
食物繊維はキャベツの7.8倍!」

は、つまりこうなる。

「ビタミン C は赤ピーマンの0.23倍!
ビタミン B1 は落花生の0.43倍!
ビタミン B2 はモロヘイヤの0.62倍!
食物繊維はグリンピースの0.06倍!」

何だか微妙な感じになってしまったぞ。青汁三昧


……でも、並み居る強豪を相手によくぞ善戦した、とも言えるんじゃないか。
バレーボール・ワールドカップ 2007 の日本男子チーム位には頑張ったんじゃないのか。


ナイス トライだ。青汁三昧

2008年07月10日

秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない

gamecontroller.png

今日、以下のコラムを読んだ。

秋葉原通り魔事件をゲームの影響によるものではないかと推論し、ゲームの規制を訴えるものだ。

良くある「最近の若者の犯罪はゲームの所為」という主張だ。私はゲームを余りしない方だが、こうした「取り敢えずゲームの所為」という話は、大概論拠と呼べるものがなく、辟易している。

そして、このコラムは、コメント欄でも散々言及されていることだが、こうした「ゲーム脳」関連の論の中でも格別にお粗末だ。

至るところで無茶な論を展開しているが、特に酷い部分を引用してみよう。

---------------- コラムからの引用 ここから ----------------

トラックで人混みに突っ込み、ためらいなく人を刺し殺すのは「ゲーム感覚」としか言いようがない。ゲームの中では何の責任もない。殺しても何をしてもリセットすれば、元に戻る。

バーチャル空間であまりに長時間、長期間、それを繰り返すと、仮想と現実の区別がなくなり、現実空間でも同じことをしてしまうのではないだろうか。

加藤容疑者を見ていると、驚くほど無責任な振る舞いには、そのことが原因の一つであるとしか思えない。

---------------- コラムからの引用 ここまで ----------------

つまり、

  1. 加藤容疑者の行動はゲーム感覚だと思う。
  2. シューティングゲームを長くしていると現実で同じことをするだろう。
  3. 加藤容疑者の行動は、シューティングゲームを長くしている所為に違いない。

とし、ここからそのようなゲームを規制すべきだ、と論じている。

滅茶苦茶だ。

先ず、どの主張にも凡そ根拠と呼べるものがない。主観による決め付けのみだ (更にその主観には偏見が垣間見える)。

※ ちなみに、

  • 加藤容疑者が平均的な同世代の人と比較して殊更にシューティングゲームを長くしていたと言える根拠は、特に発表されていない。
  • シューティングゲームの普及とシューティングゲームをする世代の凶悪犯罪率の増加の因果関係を示すデータがない。シューティングゲームが普及するにつれ、シューティングゲームをする世代による凶悪犯罪が減少しているというデータなら存在する。

次に、推論の方法が出鱈目。こんなやり方で何かを論じていいんだったら、どのような暴論だって主張できる。

  1. 加藤容疑者は足で移動していた。ゴキブリも足で移動する。よって、加藤容疑者はゴキブリのような感覚であのようなことをしたとしか思えない。
  2. 足での移動を長くやっていると、正常な人間のように手を使うことを忘れてしまうに違いない。ゴキブリも手を使わない。長年の足での移動により、ゴキブリのようになり、人間らしさを失ってしまうだろう。
  3. 加藤容疑者の行動を見ていると、ゴキブリのように人間らしさが感じられない。これは足での移動のしすぎが原因の一つであるとしか思えない。
  4. 足での移動が、重大犯罪の原因の一つだと考えられる。今後の子供には足での移動を禁じるべきだ。

これは余りにも酷い滅茶苦茶な推論の例だ。根拠も論理も酷いものだ。だが、コラムのそれとそれほど論理展開は変わらない。

根拠が滅茶苦茶。その後の推論も滅茶苦茶。

※ これらには、

  1. A は X だ。
  2. B も X だ。
  3. だから、A は B だ。

という誤った推論が多用されているのだ。

誤った推論の例.

  1. キリンは空を飛ばない。
  2. アワビも空を飛ばない。
  3. だから、キリンはアワビだ。

ちなみに、コラムの方は、更に各命題も根拠に乏しい主観による決め付けなので、

  1. アワビは美味い。
  2. キリンは食べたことがないがあの色からして美味いに違いない。
  3. だから、キリンはアワビだ。

位の勢いだ。

何でも言えば良いというものではない。 オープンな場で、こんな方法で何かを論じるのは、社会にとって有害だと思う。

私は、このような凶悪な犯罪がこの世界から無くなってくれることを心から望む。そして、今後の凶悪事件の発生を少しでも防ぐ為には、正しい原因究明が必要だと考える。

「良く分からないものに責任転嫁することで思考停止」することは、正しい原因究明をしようとするのと正反対の態度だ。何の解決にもならないどころか、寧ろ問題を解決から遠ざける。

このコラムは、誤った方法で印象操作をし、凶悪事件の防止の方向とは違った方向へ社会を向かわせる危険性さえあるのではないかと思う。話題としている犯罪の重大さを考えると、怒りすら覚える。

著者には猛省を促したいところだ。

2008年11月04日

教え手が代わりに理解してあげることはできない

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子供に算数の問題の解き方を教えたり、新人プログラマにプログラミングを教えたりする場合、心掛けていることが二つある。

  1. 抽象的な教え方と具体的な教え方を併用する
  2. 理解は教わり手のもの

■ 1. 抽象的な教え方と具体的な教え方を併用する

以下の二つの教え方を併用するようにする。

  • 抽象的な教え方
    • 論理的な説明
    • 演繹的な説明
  • 具体的な教え方
    • 例示 (帰納的な説明)
    • 実演 (デモ。実際にやってみせる)
    • 実体験 (実際にやってもらう)

例えば、オブジェクト指向設計を教える場合、実際にプログラムを書いてもらって、それに対して徐々にリファクタリングをしていってもらい、どのようなメリットが生まれたかを体感してもらう。それから、クラスやオブジェクト、ポリモーフィズムという概念について説明する。

論理的な説明をしっかり理解することは重要。しかし、学び手が、体験から自ら気付き、学び取ることの方がもっと重要。

抽象的な教え方だけでは「腑に落ちにくい」。だが、具体的な教え方だけでなく、抽象的な教え方を併用するのは、「自分の考え方の枠内で、こじんまりと分かった気になる」のを避けたいがため。

論語に「學びて思はざれば則ち罔く、思ひて學ばざれば則ち殆し」という言葉があるが、「結論だけ暗記しての思考停止」や「早飲み込みして、分かった気になってしまう」のは避けたいところ。

2. 理解は教わり手のもの

○ 「気付きを奪ってはならない!」

自分の理解を説明する」場合は、ちょっと控え目に、結論の手前で止めておく。「自分の理解を説明しすぎる」のは、学習にとって、逆効果のこともあると考えている。

Aha! は教わる者にとって学びの至福の瞬間。それは、教わる者の権利であり、教える側がそれを奪ってはならない。 それが理由だ。

○ 「代わりに理解してあげることはできない」

「理解することは、本人にしかできない。代わりに理解してあげることはできない」

理解の方向に導く、ということはできる。でも、理解する、という部分は教わり手が自分でやるしかない。教え手が、そこを代わってあげることはできない。

  • 学習は、「Aha!」の連続であり、その瞬間がとても重要。
  • 且つ、それは本人が自分で達するしかないもの。
  • 教える側が自分の理解を説明しても、「Aha!」を体験させることはできない。
例:
アハ ピクチャーで、「ほらここが左目で、ほら、ここが右目。ね、人の顔に見えるでしょ?」 と説明したところで、本人の Aha!体験にはつながらない。それどころか、本人のAha!体験の機会を失わせることになる。

2008年11月29日

デゼニランドの三月磨臼 (謎)

dezeniland.png
何人かの知人が、この週末にディズニーランドに行っているようだ。

私も、家族と行ったことがある。アナハイムと浦安のやつに一回宛。

そして、この二箇所以外にも、ディズニーパークと呼ばれる場所は何箇所かあるらしい。オーランド、マルヌ=ラ=ヴァレ、浦安、そして香港。

それぞれの場所には、ミッキーマウスという剃り込みが入った鼠が居るらしい。そういえば、私もアナハイムと浦安でそれぞれ、夜のパレードか何かで見掛けたような気がする。

ということは、ミッキーマウスは世界に何匹も居るのか、と思ったら、どうやら違うらしい。噂によると、彼は、グローバルに世界中のディズニーランドに居るけど、どこで会っても世界で唯一の存在らしい。

お前は Singleton か。

つまり、観測されるまでは、全てのディズニーランドに雲のように確率的に存在していて、観測されるとそこに唯一の実体がいる、ということか。

お前はシュレーディンガーの猫か。

って、それ鼠の天敵やないか。ミニーに最近避けられてないか。大丈夫かミッキー。

2008年12月09日

語学学習者のための相互添削SNS "Lang-8"

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私の最近のマイブームは、英語の勉強。

ちなみに、Hearing と Speaking の勉強法は以下の通り。

残る Reading と Writing だが、以前は Twitter で英語で呟く、という方法を使っていた。

# 以上の方法の多くは、とある知人の方法をぱくったもの。

だが、昨夜 Reading と Writing にとても 良いサイトを見つけた。特別にご紹介しよう。それは、以下のサイトだ。

このサイトは、「語学学習者のための相互添削 SNS」だ。私から聞いてきたと言えば、無料で参加できる。嘘だ。私から聞いてきたと言わなくても、只だ。「嘘」という程でもなかったかな。嘘とまでは言えないが、兎に角、誰でも無料で参加可能だ。いや、まあ…「誰でも」は言い過ぎかも知れないが、まあ、そういうようなことだ。拙い説明だったが、分かってほしい。

ここでは、自分が習得したい言語で日記を書く。すると、ネイティブな人がそれを添削してくれる、という仕組みだ。

例えば、私が英語で日記を書く。すると、英語ネイティブな人が直ぐにそれを添削してくれる。コメントもくれる。私は、お返しに、その人が勉強のために日本語で書いた日記を添削してあげる、というわけだ。日本語に関しては、実はこっちがネイティブ スピーカーだったのだ。どうだ参ったか。いや、母国語が話せるというだけでそんなに威張ることはないか。

お互いにネイティブなので、添削作業はなんでもない。

つまり、「日本人が英語の文章を添削するのは、大変ですが、日本語の文章を添削するのは簡単です。何となら、既に私は日本人でして、日本人が日本語を添削するのは何でもない。なぜなら、私は既に日本人だから」というような訳 (謎) だ。

Writing は勿論、英語でコミュニケーションを取る関係上、Reading の練習にもなる。

日本に関心のある国外の人たちと双方向コミュニケーションができるのも、大きな魅力だ。

mixi などの日本人同士の SNS の場合、実際に知人でないと、中々「マイミクシィ」申請は出しづらい。

だが、この "Lang-8" では、リアルに知人、でない方が普通だ。何しろ住んでいる場所が「結構ばらばら」なのだ。直に会うのは mixi などより難しい。

それが、「互いに助け合って語学学習を」という一つの目的で集まっている。そこが素晴らしい。お互いに、「この場において一番助けて欲しいこと」で助けてもらえるし、助けてあげられる。そういう関係で繋がれる。そこが嬉しい。

# 偉そうに紹介しておいてなんだが、実は始めてまだ一日だ。それでも、四人のアメリカ人女性の「フレンド」ができた。近くオーストラリア人女性ともお近づきになる予定だ。この内気な私がだ。是非お勧めしたい。

■ 参考: 紹介ビデオ

2009年01月09日

Are you logical? 'Wason's Four-card Task' (あなたは論理的?「ウェイソンの四枚カード問題」)

"Are you logical? 'Wason's Four-card Task'"

Hello, everyone.

I'm a software development engineer. The ability to think logically is important for engineers.

Today, I'd like to introduce a logical puzzle which tests your logical thinking skills. It's known as "Wason's Four-card Task".

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Four cards are on a table.

[D] [A] [7] [4]

Each card has a letter on one side and a number on the other side.

The question is, which of these cards would you need to turn over in order to know whether the following statement is true or false?

The statement is: "If a card has a vowel on one side, then it has an even number on the other side."
------------------------------

Got it? What's your answer?

# For your information, Wason gave this test to 128 University-educated adults, and only 5% gave the proper answer.

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『あなたは論理的?「ウェイソンの四枚カード問題」』

皆さん、こんにちは。

私は、ソフトウェア開発のエンジニアです。エンジニアには論理的に考える能力が大切です。

今日は、論理的に考える能力をテストする論理パズルを紹介します。このパズルは、「ウェイソンの四枚カード問題」として知られています。

------------------------------
四枚のカードがテーブルの上に置かれています。

[D] [A] [7] [4]

おのおののカードには、片面にアルファベット、その裏面には数字が書かれています。

次の命題が真か偽かを知るためにはどのカードをめくる必要があるでしょうか、というのが問題です。

命題: 「カードの片面に母音が書いてあれば、その裏面には偶数が書かれている」
------------------------------

さて答えは何でしょうか?

# ちなみに、ウェイソン はこのテストを 128 人の大学を出た成人に行いましたが、正解者はたった 5% でした。

2009年01月10日

The Solution for 'Wason's Four-card Task' (「ウェイソンの四枚カード問題」解答編)

[D] [A] [7] [4]

"The Solution for 'Wason's Four-card Task'"

Hi, everyone.

Yesterday, I introduced to you a logical puzzle.

It may not be very difficult for programmers who are familiar with logical thinking.
But Wason gave this test to 128 University-educated adults, and only 5% gave the proper answer.

The most common answer given was "A and 4," by 46% of the people, and the second most common answer was "4" by 33% of the people.

However, when the puzzle was changed to another situation, most people gave the correct answer.

"Similar logical puzzle in another situation"
--------------------------------------
You are a police officer.
Now, you need to check whether people drinking alcohol are of the legal drinking age in a cafe.

When you enter the cafe, you can see four people drinking something.
Then you find that one person is drinking Coke and another person is drinking beer.

You don't know what the other persons are drinking yet, but your partner knows their ages; one of them is 16 years old and the other person is 22 years old.

Now, which of these people would you need to check his or her age or drink?

(A) The person drinking Coke of an uncertain age
(B) The person drinking beer of an uncertain age
(C) The 16-year-old boy or girl drinking an unknown drink
(D) The 22-year-old person drinking an unknown drink
--------------------------------------

I think this is an easy puzzle. The correct answer is "'the person drinking beer of an uncertain age' and 'the 16-year-old boy or girl drinking an unknown drink'".

You don't need to care how old the person drinking Coke, and also, you don't need to care whether the 22-year-old person is drinking alcohol or non-alcohol drink, but you should confirm how old "The person drinking beer" is and what "The 16-year-old boy or girl" is drinking.

By similar reasoning, we can come up with the correct answer for the yesterday's puzzle: "A and 7".
Let's hear it for the people who gave the correct answer!

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『「ウェイソンの四枚カード問題」解答編』

皆さん、こんにちは。

昨日、論理パズルを紹介しました。

論理的思考に慣れているプログラマーの方には、それほど難しくなかったかも知れません。
しかし、ウェイソンは、大学出の成人 128人にこのテストを実施し、たった 5% からしか正解は得られなかったのです。

もっとも多い答えは 46% の人が答えた「A と 4」で、次に多い答えは 33% の人が答えた「4」でした。

ところが、このパズルを別の状況に置き換えたところ、今度は殆どの人が正解したのです。

○ 別の状況の同様の論理問題
--------------------------------------
あなたは警察官です。
これから、カフェで「酒を飲んでいる人が、法的に酒を飲んでもよい年齢 (20歳以上) かどうか」を調べなければいけません。

カフェに行くと、そこでは四人の人が何かを飲んでいます。
見ると、一人はコーラを飲み、一人はビールを飲んでいるのが分かりました。

残りの二人が何を飲んでいるかはまだ分かりませんが、同僚が年齢を知っていて、一人は16歳で一人は22歳であることが分かっています。

さて、これから年齢もしくは飲み物を調べなければならないのはどの人でしょうか?

・「年齢が分からないコーラを飲んでいる人」
・「年齢が分からないビールを飲んでいる人」
・「何を飲んでいるか分からない16歳」
・「何を飲んでいるか分からない22歳」
--------------------------------------

これは簡単だと思います。正解は、「年齢が分からないビールを飲んでいる人」と「何を飲んでいるか分からない16歳」です。

コーラを飲んでいる人が何歳であっても構わないし、22歳の人は酒を飲んでいても飲んでいなくてもどちらでも構いません。でも、「年齢が分からないビールを飲んでいる人」が何歳かと、「何を飲んでいるか分からない16歳」が何を飲んでいるかは確認する必要があります。

同様の推論により、昨日の問題の答えは、「A」と「7」です。
正解者に拍手!

続きを読む "The Solution for 'Wason's Four-card Task' (「ウェイソンの四枚カード問題」解答編)" »

2009年01月11日

「抽象的な問題を具体化して解く」ということ

The Solution for 'Wason's Four-card Task' (「ウェイソンの四枚カード問題」解答編)』の更に続きです。

ちょっと考察してみました。

プログラマーの場合は、「論理をコンテキストから切り離して、抽象的なロジックを抽象的なまま記述する」、なんて日常的に仕事でやってることだから、具体例がなくても抽象的な話のままで結構理解できるのかも知れません。

でも逆に、プログラマーは、「問題を分析し、関心事ごとに切り分けてから、解く」というのに慣れ過ぎていて、具体的な問題を具体的なまま理解する、というのが、苦手になっていたりするのかも知れません。

# 私がよくやってしまいます。例えば、妻と会話をしていて、「えっと、つまりそれってこういうことだよね」とか「結局どの部分が問題なの?」とか。妻は、私の「直ぐ分析しようとする癖」が好みではないらしく、これは、夫婦喧嘩のもとです。

で、「問題を分析して抽象化して解かせようとする」というアプローチばかりをとってしまったりします。しかし、抽象的な問題を具体化した方がずっと理解しやすい場合がある、という実は当たり前なことを見逃したりしがちな気もしています。

私は、「複雑な問題はシンプルにしてから解こう」というアイディアは、それ自体がとてもシンプルで良いものだと思います。そして、分解したり、抽象化したり、というのは、シンプルにするのに、とても効果的な方法だと思います。

しかし、分解したり、抽象化したりすることが、いつも最もシンプルな解法だとは限らないのでしょう。逆にそうすることで、見えなくなってしまうものもあるのだと思います。

『一枚の葉にとらわれては木は見えん。一本の木にとらわれては森は見えん。どこにも心を留めず、見るともなく全体を見る。それがどうやら…「見る」ということだ』(沢庵和尚『バガボンド 4』講談社 井上 雄彦著)

2009年07月30日

「C# のやり方」

「C# のやり方」

  1. ヤマダ電機へ行き、「一番高いパソコンとビジュアルステゥージオの一番いいやつ、それとインターネットをくれ」と言います。

  2. 買ってきたパソコンとインターネットで、"アマゾン C# 入門" を検索し、一番上の候補をクリックして、本を買います。

  3. 本が届くまでの間、パソコンにビジュアルステゥージオを入れます (この時点では、まだうまく入りません)。

  4. 次に "msdn フォーラム" を検索し、一番上の候補をクリックして、この時点での沢山のうまくいかないことや分からないことを一つ一つ質問します。
    質問のタイトルは「初心者なので教えてください (大至急!!!!)」とし、解決するまで同じ質問を色色なところで地道に何回もします。

  5. すべてが嫌になり、窓からパソコンを投げ捨てます。

2012年12月04日

各種クラウド ドライブの比較

cloud

最近は、様様なクラウド ドライブを利用している。

PC や各種モバイル デバイスで、共有のドライブが使えるのはとても便利だ。

Web で使えるだけでなく、PC や モバイル デバイスごとに専用のアプリケーションが用意してあるものが多く、それらは、ローカルのドライブと同じように使うことができる。

利用しているものが多くなってきたので、纏めてみた。

名称 サイト 無料スペース (*1) 会社 Web PC (*2) モバイル (*2)
Sky Drive Sky Drive http://windowslive.jp.msn.com/skydrive.htm 7GB Microsoft https://skydrive.live.com Windows, MacWindows Phone,iOS
Google Drive Google Drive http://www.google.com/intl/ja/drive/start/ 5GB Google https://drive.google.com Windows, Mac, Linux iOS, Android, BlackBerry
Dropbox Dropbox http://www.dropbox.com 2GB Dropbox https://www.dropbox.com Windows, Mac,Chrome OS iOS, Android, BlackBerry
SugarSync SugarSync http://www.sugarsync.jp 5GB SugarSync https://[アカウント名].sugarsync.com Windows, Mac,Chrome OS iOS, Android
iCould iCould http://www.apple.com/icloud/ 5GB Apple https://www.icloud.com Windows, MaciOS
Amazon Cloud Drive Amazon Cloud Drive http://www.amazon.co.jp/gp/feature.html?ie=UTF8&docId=3077664656 5GB Amazon https://www.amazon.co.jp/clouddrive Windows, Mac Android
Yahoo! ボックス Yahoo! ボックス http://box.yahoo.co.jp 5GB
(Yahoo! BB会員 50GB)
Yahoo Japan https://box.yahoo.co.jp WindowsiOS, Android
N ドライブ N ドライブ http://ndrive.naver.jp 30GB NHN Japan http://ndrive.naver.jp Windows, MaciOS, Android
KDrive KDrive http://www.kdrive.jp 50GB KINGSOFT https://www.kdrive.jp/index.php?ac=fileview Windows, MaciOS, Android

(*1) 条件を満たすことで、無料の儘容量を増やせるものもある。
(*2) 但し、純正アプリ以外で使えるものはある。

私は、Sky Drive を中心に、Dropbox と Google Drive を併用している。

「複数のデバイスで同じストレージにアクセスできる」のはとても便利で、今やなくてはならない。

いずれは、ドライブすら意識させないクラウド環境が当たり前になるのかも知れないが、過渡期として「丁度いい」便利さだ。

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